AI miss MICHAEL JACKSON ~KING OF POPの奇跡~ Vol.2を見た [テレビ]
Vol.2を見ました。
再放送するようですから
興味を持った方はご覧ください。
http://www.m-on.jp/specialprogram/sp_detail20267.html
マイケル・ジャクソン ビデオクリップ大百科
というのも再放送するようです。
2010/6/13(日)18:00~23:00
【クリップオンエアリスト】
ANOTHER PART OF ME | MICHAEL JACKSON |
BAD -LONG VER.- | MICHAEL JACKSON |
BEAT IT | MICHAEL JACKSON |
BEN (EDIT) | JACKSON 5 |
BILLIE JEAN | MICHAEL JACKSON |
BLACK OR WHITE -LONG VER.- | MICHAEL JACKSON |
BLAME IT ON THE BOOGIE | THE JACKSONS |
BLOOD ON THE DANCE FLOOR | MICHAEL JACKSON |
CAN YOU FEEL IT | THE JACKSONS |
CHILDHOOD | MICHAEL JACKSON |
CRY | MICHAEL JACKSON |
DIRTY DIANA | MICHAEL JACKSON |
DON'T STOP TILL YOU GET ENOUGH | MICHAEL JACKSON |
EARTH SONG | MICHAEL JACKSON |
GIVE IN TO ME | MICHAEL JACKSON |
GONE TOO SOON | MICHAEL JACKSON |
HEAL THE WORLD | MICHAEL JACKSON |
HISTORY | MICHAEL JACKSON |
I WANT YOU BACK '98 | JACKSON 5 featuring BLACK ROB |
IN THE CLOSET | MICHAEL JACKSON |
JAM | MICHAEL JACKSON |
LEAVE ME ALONE | MICHAEL JACKSON |
LIBERIAN GIRL | MICHAEL JACKSON |
MAN IN THE MIRROR | MICHAEL JACKSON |
ONE MORE CHANCE | MICHAEL JACKSON |
REMEMBER THE TIME | MICHAEL JACKSON |
ROCK WITH YOU | MICHAEL JACKSON |
SAY SAY SAY | PAUL McCARTNEY & MICHAEL JACKSON |
SCREAM | MICHAEL JACKSON |
SHE'S OUT OF MY LIFE | MICHAEL JACKSON |
SMOOTH CRIMINAL -LONG VER.- | MICHAEL JACKSON |
STRANGER IN MOSCOW | MICHAEL JACKSON |
THE WAY YOU MAKE ME FEEL -LONG VER.- | MICHAEL JACKSON |
THEY DON'T CARE ABOUT US | MICHAEL JACKSON |
THRILLER | MICHAEL JACKSON |
THIS IS IT | MICHAEL JACKSON |
TORTURE | JACKSONS |
WHO IS IT | MICHAEL JACKSON |
WHO'S LOVIN' YOU | JACKSON 5 |
WHY | 3T feat. MICHAEL JACKSON |
WILL YOU BE THERE | MICHAEL JACKSON |
YOU ARE NOT ALONE | MICHAEL JACKSON |
YOU ROCK MY WORLD | MICHAEL JACKSON |
IN THE CLOSET(REMIX) | MICHAEL JACKSON |
MEGAMIX | MICHAEL JACKSON |
うーーーーん
見た方がいいのかなー。
SCREAMは必見だけど。
5時間って長いよね。
録画だけしとこうかなーーーーー
なんてね。
簡単に紹介。
今回はゲーリーのちょっと左上
シカゴからスタートです。AIちゃん。
①シカゴ
ロニー・ランシファーさん
ジャクソン5時代のキーボード
マイケルはいたずらが大好きな子だった。
自分のことを"勇敢なアメリカ人"と呼んでいたよ。
とにかく、いたずらが好きで
すぐにちよっかいを出すんだ。
でも。いざステージにたつ彼を見ていると
いつも彼の才能に驚かされていた。
マイケルには限界というものなど無いのだと感じたよ 。
アルバム曲を演奏したり
当時、人気のあった
スリー・ドッグ・ナイトの曲を
ジャクソン5のスタイルを取り入れてやったりしたよ。
特に「フィーリング・オールナイト」はよく演奏した。
演奏の幅を広げるためフィラデルフィア・ソウルも取り入れた。
初期のころはジャクソン5の登場前に私が演奏したこともあった。
アイザック・ヘッズの「ウォーク・オン・バイ」などに
彼らが振付を加えてくれた。
彼らと活動していた当時には
多くを学ぶことができた。
世界中をまわって、さまざまな文化に触れたからね。
私たちを育ててくれたのは、他でもないモータウン・レコードだ。
アレンジ法や音楽理論
観客を前にした演奏のノウハウを学んだよ。
君のようにテレビ番組の司会の技術もね。
私はマイケルを子どものころから知ってる
世界中の人が雑誌の記事を読んで彼を知った気になってるのとは話が違う。
この目で彼を見てきたから言えるんだ
彼は大物になると確信していた。
マイケルは本物の才能を持っていたんだ。
彼の死を知らされた日は
私の母が亡くなった時くらい悲しかった。
彼が亡くなったなんて信じたくない。
まだ彼の死を受け入れることができないんだ
彼にはまだ、やるべきことがたくさんあった。
ジミ・ヘンドリックスのように一段高みにいけたんだ。
人生はわからないものだね。
ジャクソン5で1番思い出の曲は
リリースされなかった曲だ。
いつかリリースされるかも
タイトルは思いだせないがスティービー・ワンダー作曲のものだ
スティーヴィー・ワンダーの曲をマイケルが歌うはずだった。
マイケルは世界中の音楽に影響を受けている
日本からインスパイアされたものや
アフリカン・リズム
ラテン・リズム
他にもアーバンやロックもだ。
常に好奇心旺盛だった彼はそれらを自分の音楽に取り入れたんだ。
まさに"キング・オブ・ポップ"さ
スティーブ・ポポビッチさん
元エピックレコードA&R
ある日ロン・アレクセンバーグから紹介したい人がいると連絡があった。
1人はピート・ベネットという男だった。
彼は75年当時メジャー級のプロモーションをしていた。
ほかはジョー・ジャクソンとパートナーのリチャード・エリンズだ。
私たちは話合いをしたんだ。
当時ジャクソン5はすでにモータウンで大きな成功を収めていて
シングルの売り上げも好調だった。
モータウンはR&Bからポップスまで幅広く扱うレコード会社だった。
規模も大きく所属アーティストは世界的に影響力があった。
しかし、ジョーは流通の面で私たちを選んだんだ。
世界規模の流通には、インディーズのモータウンは不向きだった。
彼らにはレーベル機能はあっても
世界規模の流通網がなかった。
海外では第三者にライセンスしてたんだ。
しかし、私たちとなら国内外問わずコントロールできる。
数か月の交渉の末、やっと合意に達したんだ。
NYで記者会見を開いてジャクソンズとの契約を交わしたんだ。
グレッグ・パーカーさん 館長
シカゴ唯一の音楽の博物館が
1991年創設のシカゴ・ブルース博物館だ。
http://www.dusablemuseum.org/
ブロンズヴィルにあったリーガル・シアターは有名な劇場さ。
1928年に200万ドルをかけて建設されたこの劇場では
多くのミュージシャンが発掘されたんだ。
ブルースの女王アレサ・フランクリンやジェームス・ブラウンも演奏した。
リーガル・シアターで演奏したミュージシャンは数知れない。
マディ・ウォーターズ
ビリー・ホリデー
デューク・エリントンなどだ。
ブルースはミシシッピからシカゴに来たときに
エレクトリックになったわけだ。
これは楽屋にあった椅子だからいろいろな有名人が座ってた。
サム・クックやマイケルもこの椅子でくつろいだはずだ。
アメリカの音楽はブルースが起源だ。
だから私たちはブルース博物館を建てたんだ。
ブルースには照明も衣装もいらない。
3人いれば演奏できる。
ローリング・ストーンズはハウリン・ウルフを崇拝してた。
昔、ある番組に呼ばれたストーンズは出演する条件として
ウルフも出すようにといった。
これは、スモーキー・ロビンソンとミラクルズの貴重な写真だ。
彼らは共同で「フーズ・ラビング・ユー」を作曲した。
それをマイケルがカバーしたってわけさ。
ジャーメイン・ジャクソンさん 兄さん
僕たちはモータウンのアアーティストに憧れていた。
テンプテーションズやスティービー・ワンダー
スモーキー・ロビンソン
ジェームス・ブラウンとかね。
マイケルはいつも陽気だったよ。
冗談を言ってよく笑ってた。
彼と僕はグループ内のお笑い担当だったんだ。
ジャクソン5でツアーをしてた時は
よくホテルでまくら投げをした。
食べ物を投げ合って遊んだこともあったんだ。
警備員にいたずらもした。
水の入ったバケツをドアの上に仕掛けて警備員にかけたりもした。
とにかくいたずらが大好きだったんだ。
でも、ステージに上がれば自分たちの仕事をしっかりした。
ホテルは息抜きの場だったのさ。
マイケルは唯一無二の存在さ。
彼は独特の雰囲気を持っていて
生まれる前から他の人と違っていたんだ。
使命を持って生まれてきた。
そして世界中の数え切れないほどの人々の心に触れた。
でも、それは曲がヒットしたからじゃない
マイケルの曲には心がこもっているからなんだ。
彼の優しさが詰まっているんだ
僕たちは彼と言う人間がいたことに感謝すべきだ。
彼のおかげで僕たちは、さまざまな問題に気が付いた
世界中の人々が"このままでは、いけない"と喚起された
しかも、それをやってのけたのは
政治家などではなく
僕の弟マイケルだ。
音楽を愛したマイケルだったんだ。
彼が亡くなってしまった今、僕はこう思っている。
残された僕たちは家族として
彼の成し遂げた偉業を語り継いでいくべきだと。
彼の名と
彼の言葉
そしてなにより
彼の信条をね。
ティト・ジャクソンさん クッション抱えて可愛いマイケルの兄さん
www.titojackson.com
すばらしい家族だと思うよ。何か使命みたいなものがあった。
その使命を果たしていく中で
愛を分かち合いメッセージを伝えていった。
僕たちは音楽によるメッセンジャーだと思ってるよ
フランク・ディレオさん
元エピックレコード宣伝部長
マイケルジャクソンマネージャー
マイケルが残した功績のなかでも音楽の占める割合は大きい
そして、努力の大切さ
さらに広い心を持つことを教えてくれた
彼は物事を白黒で決めつけることはせずに
ありのままを認めようとした。
あいまいにするんじゃなくて色を付けないんだ
色メガネを外した状態さ。
人の個性を尊重したんだ。
そんな人間からは多くを学ぶことができる。
彼自身、苦労もしただろう
幼少期は人種差別も経験してるんだ。
この国での生活は残酷だからね
でも彼はそれを乗り越え、常に正しい方向を向こうと必死だった
ステージを下りてからも常に人の心配をしていた。
世界中の子どもが安心して暮らせているかや
食糧が行きわたっているかをね。
そういう優しさが彼の活動の原動力だった。
世界中の人々に呼び掛けたかったんだろうね。
政治家ではなかったけど
彼のメッセージは、どの政治家よりも重みがあった。
なぜなら、彼には
音楽という共通言語があったからだ。
彼は音楽を媒体にして意識改革をした
"世界のために何かしよう"ってね
ロンドンで85公演分のオファーが入った。
それを聞いた彼は
"記録は?"
と聞いてきた。
"プリンスは25公演分売り切った"
と答えた。
そこで彼は
"じゃあ、僕は50公演にする"といった
85公演も可能だったが彼が50公演にした。
そしてリハーサルが始まった。
映画THIS IS ITのシーンの紹介
マイケル・ベアデンさん
THIS IS ITミュージックディレクター
知ってのとおりマイケルは完璧主義だ
でも独裁者みたいな指示はしない
彼はとても協力的だったよ。
"this is it"を観ればわかるだろうけど
僕もマイケルも自分の意見をはっきり言うタイプなんだ
だから意見が分かれて衝突したこともあった。
でもそこには愛があって僕たちはお互いをリスペクトしていた。
クリエイティブな関係だよね。
僕たちはお互いの才能を最大限に引き出そうと真剣だった。
マイケルはツアーをコントロールしていた。
最終的な決定権はすべて彼にあったのは確かだけど
彼は僕たちの言うことにも耳を傾けてくれた
後半になるにつれ僕をより信頼してくれたよ。
"どのタイミングで入ればいい?"
と頼ってくれたりね
AIちゃんの質問
マイケルに"もっとケツを!(ブーティー/more booty??)"って言ったでしょ。
ビックリしたんだけど、どんな状況だったの?
同じことをみんなに言われるんだ。
マイケルに"もっとケツを!"って言ったって(笑)
でもマイケル本人には誤解されずに伝わっていたんだよ
つまり僕がいいたかったのは
もっと色っぽく低音を響かせるということなんだ。
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【感想】
ブーディーといってなぜか
沢尻えりかさんを思い浮かべてしまった・・・^^;
マイケルは楽器を使った?
ああ、キーボードやピアノを弾くことがあるよ。
それに彼は打楽器を演奏するのが好きなんだ。
彼自身がドラムを所有していたくらいなんだよ。
ジョナサン・モフェットのドラムをゆずってもらい
帰宅すると叩いていたんだ。
でも彼はほとんどの場合楽器よりも
声で表現していたね。
マイケルは体全体が楽器も同然だ。
そりゃもちろんコードも弾くけど
やっぱり彼は自分の体を使って表現することを好んだ。
彼がジュディスと歌ったときに「声をセーブしたい」って言ってたよね
だから普段は優しいしゃべり方なのかな?
面白いよね、僕たちと話す時もあのしゃべりかたなんだ
でも、ある日僕がステージで自分の作業に集中していると
突然、低音でカントリー風の声が聞こえてきたんだ。
見上げて声の主をさがしても分からない。
そのあとまた聞こえたから
"誰だ!?"
って言うと
僕を見ていたマイケルが床の上で笑い転げてるんだ。
彼からあんな低い声が出るとは思わなかった。
作業を始めた当初は何も決まってなかった。
そこで彼と、フランク(ディレオさん)とで話し合った時に
"白紙から始めるなら僕に任せてほしい"と伝えた。
自分で人材を集めてファミリーを作ってみたいってね。
マイケルはダンサーだから
ドラマー選びから始まったよ。
そして、彼と付き合いの長い
ジョナサン・モフェットに決まった。
ジョナサンを選んだ理由を聞くとマイケルは
"彼がドラムを叩くと僕は踊りたくなるんだ"
って
だから僕はジョナサンを加えた。
次に取りかかったギターでは
マイケルはこんな要望を出した。
「金髪の若い女の子がいい」ってね。
そこで友人たちに聞いて回ったところ
オリアンティーという名を数人から聞いた。
そしてネット上で彼女を探して直接コンタクトを取ってみた。
すると最初に彼女のマネージャーが電話をくれたんだ。
不審がる彼を説得して彼女の連絡先を聞き出した
そして、彼女に電話して必死に口説いた。
最初にマイケルにあったとき彼はそんな感じだった?
マイケルは部屋に入ってくるとソファに腰かけたの。
そのまま「今夜はビート・イット」の演奏に入ったわ。
私は彼に見つめられながらギターを弾いたの。
だから間違えないように必死に神様に祈ったわ。
おかげで演奏は成功したんだけど
直後にマイケルが私にこう言ったの
"今弾いたソロをステージでも弾いてくれる?"って
"もちろん"って答えたら彼も喜んでくれたわ
映画になったシーン以外でマイケルとの思い出はある?
そうね、彼はふざけるのが好きでよくステージの下に入ってた。
その様子をみんなでイヤホンを使って聞いてたの。
あるとき、彼はステージの下から
まるでオペラ歌手みたいな声を出して
"だからリハーサルがあるんだよ"っていうの
みんな大爆笑よ
でも彼は完璧主義者だったから練習では厳しい面もあったわ
すべてに正確さを求めるの
マイケルは日によって
1日中真剣なままだったり
突然ふざけだすこともあったわ
②LA
LAのスタジオ
CONWAY Studios 5100 melrose AVE
ジュディス・ヒルさん 髪形は相変わらず爆発系
歌に関してマイケルから細かい指示のようなものはあった?
ええ、彼には細部まで明確なこだわりがあったの。
ステージの見せ方やボーカルやピアノ
それら全部に考えがあってすべてに神経を注いでいたわ。
だから少しでも違うと彼がリハーサルを止めるの
彼は怒鳴るようなことはしないけど、大丈夫なのかダメなのか
いつもドキドキしていたわ
いい人ばかりのグループよ
そうよ、ドリアンとダリルはツアー経験者だったから
マイケルの楽曲に詳しかったの。
新顔はケンと私だけだった。
でもみんなプロ意識が高くて打ちとけやすい人たちだったから
一緒に仕事をすることができて楽しかったわ。
マイケルが目の前でラブソングを歌ってるのってどんな気分?
一緒に歌ってることに驚きながら喜びも感じていたわ。
映画に収められているあのシーンは
初めて「通し練習」をした時の映像よ。
あの時は私は
勝手がわからなくてマイケルがどこに立つのかも知らなかった。
でも彼は自分から絡んできてくれたの。
マイケルが目の前にいるなんて信じられなかったわ。
大接近してたわよね。
この曲は絶対うまくいくと思ったわ
一人の歌手として私も興奮してた。
だって、大好きな曲だし情熱的で美しい曲だもの
エンディングであんなことができたのもよかった。
ちょっとヘンなこと聞くけどマイケルのにおいってどんな感じ?
彼からはとても強い香りがしたわ
そうねなんていうか
すごく甘い香りがしてた。
何かは知らないけど強い香りだった
つまりステキだったわ(ワンダフル!)
本当にステキだったの
香水やコロンの香りって感覚ではわかるけど
言葉ではうまく説明することって出来ないでしょ!?
だから甘い香りってことは覚えてんだけど・・・
彼の顔がここに来た時は"わあ!!"って思ったわ
セクシーだった
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Judith Hill×AI Recording
彼からたくさんの愛をもらったわ
彼が励ましてくれたから私はやり遂げることができたの
もちろん彼は仕事のボスだから
怖いなと感じることもあったけど
決して威圧的な感じではないの
世の中には初対面の人に心を閉ざしてる人がいるでしょ
でもマイケルにはそんな壁は存在しなかったわ
彼はみんなに対等に接してくれた
その上、彼は親切で優しくて物腰も穏やかだったから
そういう部分も素晴らしいと思ったわ。
彼とリハーサルを行うのは
偉大なアーティストの授業を受けているような気分だったわ
彼は私たちのことをいつも気にかけてくれたし
これ以上にないくらい最高に素晴らしい経験だった
ジョアンナ・ホロウィッツさん
スタジオ54 オリジナル・パブリシスト
マイケルはショーを行うことを楽しみにしていたわ
リハーサル2日目に
"元気そうね"
って彼に声をかけたの
本当に体調がよさそうだった
彼は身体を鍛えていたの
その時彼は黒いスーツとTシャツを着ていたんだけど
ジャケットを脱いで筋肉を見せてくれたの
"腕にさわってごらん"
て言って次にTシャツもめくりあげたわ
腹筋がきれいにわれた見事な身体をしてた
(6つにわれてたらしい。キャー!!細マッチョ!!)
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オリアンティさん
練習が終わって家に帰ってからも私はずっと興奮していたわ
だって彼が私たちと同じステージに立って彼が私たちを指導してくれたのよ
本当に特別な経験だったわ
とても現実の出来事だと思えなかった。
マイケル・ベアデンさん
実はセットリストは未完成のままなんだ。
彼が亡くなる直前まで一緒に作業をしていたからね
細かな修正をいくつも加えたりしていた。
でも彼は後れを心配しなかった
"また明日やろう"って感じでね(マイケルの声真似)
完成間近だったんだ
「今夜はビート・イット」や「ビリー・ジーン」なんかがあって
すごいステージになるのは間違いなかった
フランク・ディレオさん
彼はツアーをとても楽しみにしていて
日にちが近付くにつれて興奮も増していった。
すでに裏では50公演後のツアー延長の話もしていたんだ。
私は彼に日本行きを勧めて彼もすごく乗り気だった。
日本ではスタジアムツアーを20公演計画していた。
ツアーは更に広がるはずだった
彼も1~2年かけた最後のツアーにするつもりだった
また彼の子どもたちが父のステージを観たことがなかったから
マイケルは子どもたちに、その様子をみせたかったんだ。
だが、願いは叶わなかった。
マイケル・ベアデンさん
もし最後に1曲だけマイケルと演奏できるとしたら
あなたはどの曲を選ぶ?
きっと誰もまだ聴いたことのない曲にするな
マイケルは新曲への意欲も持っていたからね
昔の曲も大切にしてたけど
でも彼はロンドンにいる間に、新しいアルバムを出したいと言っていた。
だから、どれか1曲を選ぶなら新し曲にするかな。
ただ、彼と、僕と、ピアノだけ
フランク・ディレオさん
昼食を食べている最中にその電話がかかってきた
マイケルの家に救急車が来てると
ファンが知らせてくれたんだ。(フランクさんに電話できるファンってすごいですね)
すぐにマイケルのアシスタントに電話して状況を尋ねた。
どうやら事実らしいとわかり
私も現場に急行することにした。
急いで会計を済ませて部屋に戻って外出の準備をした。
そしてプロモーターの
ランディ・フィリップスに電話して
彼に救急車の話を伝えたんだ。
彼に現場に向かうよう指示をしてそこで落ち合うことにした。
そしてマイケルの家に向かった。
だが私は目が悪くて普段は車を運転しない
いつも彼の家に行く時は運転手を使っていた。
だから運転中に道を間違えたので時間がかかってしまった。
私が到着した時には救急車はすでになかった。
だからその足でUCLAの病院にいった。
中に入るとランディがいて
関係者は別の部屋に待機していた。
我々は部外者が入らないように警備を配置してマイケルの元に向かった。
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すると看護師が来て"残念です"と告げた。(泣きそうなフランクさん)
私はすぐに状況を理解した。
倒れそうだったがランディが支えてくれた。
本当に悲しい一日だった。
でもすぐにやるべきことを考えた。
病院に向かってるマイケルの母親と
別室で待ってる子どもたち
彼らに知らせるのは私の役目だった。
その後マイケルと2人の時間が持てた
マイケルの家族は別の部屋で悲しみに暮れていて
少しの間私はマイケルと2人きりでいた。
ただ眠っているように見えた。
とても穏やかにね
【感想】
普段運転しないのに
この時は運転してしまった(道に迷ったけど)
フランクさんのマイケルへの愛を感じました。
倒れそうになってしまったけど
ランディさんありがとう。支えてくれて
ある夜仕事が終わってスタジオから出たとき
マイケルが「見せたい本」があると言いだしたの
そして彼の家で見せられたのは
アフリカで飢餓に苦しむ子供の本だった。
マイケルはページをめくっては涙を浮かべてる子を指さしてた。
マイケルは恵まれない子供に対して人一倍思いやりがあった。
だから数年後に「ウィー・アー・ザ・ワールド」を作ったのも納得よね。
彼は良いことをたくさんしたよ
彼は自分が行ったすべての国で小児病院を訪れた。
そして世界に公表するでもなく
レントゲンや輸血の装置を病院に寄付していた。
世間は彼のそんな姿を知らなかった。
そして彼はファンからもらったぬいぐるみなどのプレゼントを
病院の子どもたちに配っていた。
彼はその行為が世間に知れることを望まなかった。
人目を忍んでいた。
彼の写真が残っている病院もあるが
でもマイケルは寄付する際に
なるべく写真を撮られないようにした。
もし彼のやってることが世間に知れると
マスコミや世間は疑った視点で見るかもしれないからね。
「マン・イン・ザ・ミラー」という曲は
マイケルの人柄をよくあらわしている
弟は世の中の平和を願っていた。
人類は平等に創られていて、みんな対等なんだと説いていた
ある曲では"私の身体に流れる血を感じるかい?"と歌っている
(ある曲ってなんていう曲なんですか??キャンユーフィールイットですか?)
弟の発したメッセージは決してうわべだけのものではない
彼のメッセージは人間同士が助け合い
共同体として何ができるか、ということを問いかけていた。
マイケルはそこまで真剣に考えていたんだ。
頂点を極めるのは大変な道のりだ
自分の最高の力を出し続けなければならない
それは決して簡単なことではない
人は成功するとそこで安心してしまう
そして歩みを止めるのだが我々はそんなことはしなかった。
アルバムを作り終えても次々と新たな予定を進めていった。
あるとき我々は車でローマからトリノに移動していた。
8時間くらい走ったところでマイケルが突然口を開いた。
"僕たちはこの数年でいろんなことをやってきたね"と
"ああ、そうだな"と答えると
"今までのことをいつかゆっくり振り返ろう"と彼は言った
"今はそんな時間はないな"って私は言ったけどね
いろんなことを達成してきたが振り返る時間がなかったんだ
普通はヒット曲が5~6曲もあれば
30年はあそんで暮らせるが我々は休もうとはしなかった
常にその先を目指していた。
AIちゃんのコメント
マイケルは誰よりも先を行ってた。
チャリティやエコ
歌詞にメッセージを埋め込んでたし自分で動いていた。
人に対して良い影響を与える人になりたい(涙)
尊敬するしそうなりたい
1年前の6月25日は
韓国に行ってたので、まったくこのニュースを知りませんでしたが
帰りの飛行機で
新聞がやたらマイケルだなーと思い
日本に帰ってから亡くなったことを知りました。
ファンじゃなかったけど空しかったです。
こちらはjapan times
わーコッスンさんありがとう!!
今回もすばらしいです!保存版ですよ。
私も見たけど、ここでまた涙しました。
よかったですね。今回も
やっぱフランク・ディレオの言葉に詰まるシーンは、見ていてつらかったですね。サングラスの奥に涙が光っていた気がします。
マイケルの甘い匂い・・気なりますね(^^)
by kachan (2010-06-10 20:46)
わ~~うれしい!
コッスンさん、ありがとうございます!
こんなに詳しく私も保存します^^!
私もマイケルの香りで食いつきました・・・気になります~!
ジャー兄さんの言葉にもフランク・ディレオの言葉にも
泣かされました・・・・。
マイケルはただ歌にメッセージをこめただけでなく
実際に自分の足で行動していたのが素晴らしいです。
(それもできるだけメディアにふれないようにして。。。。)
心から尊敬しています。
by ram (2010-06-10 21:32)
すごーーーい!番組の内容がほぼ完璧に網羅されてるぅ〜☆
いろんな場面でウルウルしちゃった良い内容でしたよねぇ
私はいつ六本木の1,000人Beat Itが出て来るのか、
ドキドキわくわくしながら見てたんだけど、
あれ?終わっちゃったぁ〜って感じでしたぁ。
次回は間違いなく映るはず!チェキ!
by meiqi (2010-06-10 21:39)
kachan様
全部知らないことだったので
何のコメントも出来ませんが
やっぱ、フランクディレオさんは、マイケルを愛してたと思う。
目が悪くて普段は運転しないのに
運転しちゃったんですから。
ジーンと来ました。
マイケルのつけてたフレグランスは何なんですか?
ram様
私は細マッチョに食いつきました。
腹筋見たかった。さぞやセクスィーでしょう。
マイケルは、素晴らしい人で
尊敬すべき人物です。
私は亡くなってから分かったので(映画みてから)残念です。
meiqi様
そうです。ほぼまんまメモりましたから(笑)
六本木アリーナのmeiqiさん
楽しみにしてます。
いつやるのかな?
by コッスン (2010-06-10 22:56)